合格体験記

同じ目標の仲間がいたから、励ましあえた。

灘高校

洛南高校

西大和学園高校

白陵高校

早稲田大学本庄高等学院

※保護者からの手紙

■2024年度(最新版) 

僕が灘高校に合格することができたのは志学館の先生方のおかげ

灘高校入学 / 大森 憧太 君 (大阪立玉津中学校卒)

僕は三年前の中学受験で第一志望の灘、第二志望の東大寺学園に落ち、第三志望だった中学に入学しました。第三志望の学校でしたが、学校生活はそれなりに楽しく、入学後1ヶ月程経つとこのまま高校三年までこの学校にいてもいいかなと思うようになっていました。しかし、3ヶ月くらい経った時に或る病気を発症し、朝から昼にかけての体調がすぐれない日が続き、その病気が治る見通しも立たなかったので中一の九月頃に公立中学校に転校しました。

転校してからも体調のすぐれない日が多くあまり学校には行けませんでした。そうして自宅で学習を続けていた頃に志学館に出会いました。転校して高校受験をすることになった時から僕の頭の中には灘という目標がぼんやりと浮かんではいましたが、どうやって目指せば良いのか分かりませんでした。そんな時に合格体験記を読んだ母から勧められ、中学一年の二月頃志学館に入塾しました。入塾して初めての月例テストは酷いもので、特に英語は20点もありませんでした。自分の学習は不完全で定着していないことを気付かされました。体調のこともあり暫くは数学を週1コマだけ受けていた僕は、その後も月例テストでは下位をさまよっていました。

このままやっていてもキリがないと思い中二の夏期講習からはほぼすべての授業を受けることにしました。この時期には夕方の体調は良くなってきていて、灘という目標があったので往復二時間の通塾もそれほど苦ではありませんでした。すると夏期講習が終わってからぐんぐんと成績が伸び、中三の夏頃からは月例テストでもトップを維持できるようになっていました。この時には英語も単語や熟語の覚え方が自分の中で確立され、得意教科になっていました。

志学館の授業は全教科ともレベルが高いですが、分かりやすいので、授業を受け続けているとそれぞれの教科の苦手意識が払拭され、苦手な教科というものがなくなりました。その結果、灘の過去問演習では全ての教科で万遍なく点数を取ることができ、安定して全ての年度で合格点を超えることができました。入試本番では理科で受験番号を書き忘れたような気がして不安でしたが、それ以外は緊張せず普段通りの力を出せました。

それでも合格発表を見る時は今までにないほど緊張し、合格が分かった瞬間は言葉では表せないほどの喜びを感じました。僕が灘高校に合格することができたのは志学館の先生方のおかげです。本当にありがとうございました。

■2023年度

帰国してからの復活戦。中学受験で落ちた灘をもう一度受けたい。

灘高校入学 / 吉原 廉大郎 君 (芦屋市立山手中学校卒)

中学受験で全て不合格となり、逃げるように父の海外赴任について行ったのが三年前のことです。そこで英語が特別に出来るようになったわけでもなく、特に勉強を頑張っていたわけでもなく適当に過ごしていましたが、中学受験で落ちた灘をもう一度受けたいとは考えていました。そんな中、灘に入りたいならここが良いと母が見つけてくれていたのが関西志学館でした。中3に上がる前に帰国して来たのですが、日本に着いたのが春期講習の始まる二日前で、右も左もわからないままの入塾となりました。日本にすら慣れていない状態で通塾するのはかなり苦痛でした。しかし、このタイミングを逃すと追い付けなくなると思い、嫌々ながら行き始めました。

初めは特に数学と理科がちんぷんかんぷんで、こんなものが分かるようになるのかと、絶望しかけていました。当時の成績では灘はまず無理といった感じでしんどかったです。しかし授業をしっかり聞いて、出された宿題をやっているうちに月例テストなどでそこそこの点数が出せるようになっていました。私は基本的に塾で指示された以上のことはやっておらず、それで少しずつ伸びていったので、塾に対する信頼感も強くなっていきました。ただし、良くなったとは言っても月例テストの数学の点数は30点前後をさまよっていて、その後も数学がネックであり続けました。

そのままの調子で夏期講習も終わり、外部模試を受けたりと本番に向けた取り組みも増えてきました。この頃、英語の授業で灘志望者に対して暗記テストをサボった時の措置が厳しくなったので、暗記を頑張るようになりました。毎週英語の日は暗記テストで点が取れるかと緊張していましたが、暗記はすればするほど英文で見覚えのある表現に出会う回数が増えるので楽しくなっていきました。しかし、灘高模試では合計点が200点にも届かず、数学に至っては10点台だった時は絶望しました。しかし本番までには取れるようになると励まされ、なんとか前を向きました。その後の直前特訓の過去問実戦では中ごろまで一度も正規合格点に届きませんでしたが、後半で初めて合格点に届き、直前は大体合格できるようになっていました。

迎えた本番、最初の数学で腹痛で時間をロス、続く理科もうまく解けず、もう終わったと感じていました。しかし済んだことを悔やんでも仕方ないと思い直し、二日目はそこそこの感触で終えることができました。 合格発表の朝は受験当日よりも緊張し、6時台に起き、発表の時刻を待っていました。自分の番号を見た時の喜びと、そしてそれを上回る安堵の気持ちは忘れられません。

■2022年度

徐々にペースを上げて行けばいい。遠くても諦めず志学館の授業を受けてみる。

灘高校入学 最高点合格313点/400点獲得 / 大西 崇仁 君 (私立中学校卒)

僕は中学入試で灘中に見事失敗しました。しかし、良い高校、良い大学に行きたいという思いが捨て切れず、親の知り合いの方に関西志学館を紹介してもらいました。その方の御子息は志学館で学び、灘高に主席合格していました。僕は当時西宮から遠く離れた所に住んでいたため、季節講習やレベルアップ講座のみ受講していました。授業では斬新な解法や新しい知識を得ることができ、楽しくかつ効率良く勉強できたので、月例ではそれなりの順位を取ることができました。

中二になって国語では古文の授業が増え、日曜SS特訓も始まりました。僕は遠くから通う分、時間を無駄にしないように電車の中では月刊誌の『高校への数学』や塾の宿題、通塾の電車で座れなかった時は暗記テストの内容を確認するようにしました。すると成績はさらに上がり、1位を取る回数もかなり増えました。先生たちの授業はすごいと改めて思いました。

中二の冬に西宮市内に引っ越しました。もう大丈夫!…そんな慢心が僕を勉強から遠ざけさせました。成績は微妙なところに下落し、そんな状態が6月頃まで続きました。そして遂に塾長からお叱りを受け、やっと自分の愚かさ、状況の深刻さに気付いた僕は、勉強方法を改善しました。キッチンタイマーで時間管理を徹底的にし、スケジュール帳に自分がすべきこと、終わらせたことを明記し、復習に特別力を入れました。すると成績は回復し、再び塾内首位に立つことができ、駿台模試では全国5位を取ることができました。

そこからも山あり谷あり、辛いこともありましたが、なんとか乗り越え、灘高合格ラインをキープしたまま直前特訓に入りました。さすがにこの時期はかなり気を引き締めていたので、また復習の成果も出ていたのか、過去問を解いてもずっと合格でき、時に当時の最高点を越えることもできました。試験当日は大変緊張したものの、無事合格、しかも最高点を獲得することができ、塾に恩返しができました。

ここで、この体験記を読まれている皆様に、心に留めておいて欲しいことを申し上げます。まず、僕の経験に表されているように、努力の継続が大事です。ずっとフルスロットルでなくとも、徐々にペースを上げて行けばいいのではないかと思います。そして、もう一点。家が遠方であることが不利になるわけではありません。遠くても諦めず志学館の授業を受けてみましょう。

最後になりましたが、志学館の先生方、本当にありがとうございました。この塾を忘れることなくこれからも頑張ります。

■2020年度(最新版)

最後まで先生方の支えがあったおかげ

洛南高校(空パラダイム)入学 /  山本 珠愛 さん (宝塚市立御殿山中学校卒)

私は中学受験で失敗し、親に勧められてこの塾に入りました。初めは何となく通っていただけで特に目標とする高校が決まっていなかったので、ただ授業に参加し、出された宿題をするだけで、家で復習することもなく、休みの日はずっと遊んでいました。

 中1の間はそのような調子でもついていくことが出来ていましたが学年が上がると数学、国語、理科がついて行けなくなってしまいました。 それと同時に学校では友達も増え、遊びにも誘われることが多くなり、勉強から遠ざかっていくようになりました。家で勉強する機会はほとんどなくなってしまい、得意だった英語以外は学校の授業についていくだけで精一杯なほどでした。月例テストでは、ほぼ最下位で補習に呼ばれるようにもなりました。 そのような日々が続き、親にも怒られ、塾を休むようになってしまいました。この頃、私は公立高校にさえ入れればよいというふうに思っていました。そして英語以外の塾の授業をやめてしまいました。

しかし、この数ヶ月後、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が出て、学校が三ヶ月間休みになりました。この間、友達とも遊べず、することがなくなってしまいました。あまりにもすることのない時間が続くと遊びにも飽きてきて、少しは勉強をしようという気になるようになりました。この時初めて勉強の楽しさを知るようになりました。だんだんと他の教科も取り戻したいという気になってきて、塾の授業に再び参加するようになりました。

それでも初めは追いつくのに苦労しました。けれど、塾内の友達に分からなかった問題を教えてもらったりするうちに、解ける問題も増え、塾に通うことが再び楽しくなりました。またこの時、復習することの大切さも知りました。今まで授業で分からなかった問題を放置したままにして成績が伸び悩んでいたけれど、復習をやり始めてから数学を中心に解ける問題が増えていきました。苦手だった国語は古文を毎日一題解くようにしたため、直前特訓では一番の得点源となりました。英語は毎授業で単語と熟語のテストが三年間積み重なることで、とても身に付きました。

私は志望校を確定したのが十二月ととても遅く、時間との勝負でした。洛南を第一志望と決めてからも、今年からは募集クラスが減ったこともあり難しくなることは分かっていましたが、最後まで先生方の支えがあったおかげで私はここまで来ることが出来ました。 辛いことや逃げ出そうと思ったことも沢山ありましたが、周りがみんな最難関校を目指す環境であるこの関西志学館に最後までいられたことで合格することが出来ました。三年間本当にありがとうございました。

■2018年度

志学館で、真剣に向き合う姿勢の大切さを学べた

洛南高校(空パラダイム)入学 /  奥野 琴音 さん (池田市立渋谷中学校卒)

私は中学受験に失敗し、小6の3月から関西志学館に入塾しました。  中一の間は特に志望校を決めていたわけではありませんでしたが、中学受験と同じ失敗はしたくないという思いから、真面目に勉強をし、月例テストの成績も安定していました。しかし、中二の夏頃から、周りの意識も以前より高くなり、少しずつ成績が落ちていきました。そのため、改めて自分の弱点を見つめ直し、特に苦手科目の数学は授業の前後によく質問に行きました。どの先生も私のペースに合わせて丁寧に教えて下さり、理解を深めることができました。

三年になると学習量が増え、エクセル理社特訓のプリントなどの宿題が追い付かなくなり、勉強のペースが掴めなくなりました。また、月例テストで出題範囲が無くなってからは、それまで安定して得点源になっていた英語が特に下がっていきました。月例テストの英語の長文を時間内に読み終えることが難しくなり、とても悩みましたが、最終的には授業やテストで読んだ長文を毎回もう一度訳し直すことにより、少しずつ克服しました。  洛南高校を第一志望校と決めて臨んだ十月の五ツ木模試では、合格ラインに達しなかったため、とても落ち込みました。しかし、このことが発奮材料となり、気持ちを引き締め直して臨んだその後の模試は成績も安定していきました。その時点でもエクセル理社特訓のやり残したプリントがあったので、苦手分野を優先的に、就寝前などのこま切れの時間を使って取り組むようにしていました。

正月特訓の過去問演習では、自分の実力が本当に通用するのか不安でしたが、解き終わった過去問を毎日復習し、自分の力を最大限に発揮できるよう意識することで、だんだんと自信がついていきました。続く直前特訓では、順調に合格点をクリアしていたものの、一度つまづき、自分はケアレスミスが多いということを改めて痛感しました。その一、二点の差で合否が分かれるという厳しさに気付かされました。

今年の洛南の入試は例年より厳しい戦いだったと聞きましたが、この度、無事合格できたのは、この三年間志学館で、日々の積み重ねと、最後まで問題に真剣に向き合う姿勢の大切さを学べたおかげです。これからもここで学んだことを生かしていきたいです。  三年間、本当にありがとうございました。

■2017年度

共に励まし合える仲間達と家族と関西志学館の先生方のおかげ

洛南高校(空パラダイム)入学 /  市来 知大 君 (尼崎市立武庫東中学校卒)

僕は中学受験に向けて勉強を始めた時期が遅く、目標の中学までの学力が全く足りず、中学受験を途中で断念しました。その失敗を反省して、中一の初めから関西志学館に入塾しました。初回の月例テストでは小学校の頃の勉強量の差が出てしまい、順位が悪く落ち込みました。しかし、先生方の授業がとてもわかりやすかったので、授業の内容が理解できないことはほとんどありませんでした。また宿題が思っていたよりも少なく、授業も面白かったので、クラブ活動をしながらでも塾に通うことが苦になりませんでした。

塾で授業を集中して聞き、家で授業の復習と宿題をして、塾で学んだことをしっかりと定着させていくうちに、自然と成績が上がるようになっていきました。僕は社会が苦手で、社会の授業が始まると、大きく足を引っ張っているのが目に見えてわかりました。苦手なのはわかっていてもついつい社会の勉強は後回しにしてしまいました。あまりにも出来なかったので志望校を五科目の高校から三科目の高校に変更しようかとも考えましたが、苦手なものから目を背けてはいけないと思い、社会を克服しようと思いました。それからは重要なところを重点的に覚えるようにして、少しずつ成績が良くなり、入試本番では思っていたよりもよく出来ました。完全に苦手を克服できたとは言えませんが、受験に対して十分な力が付いていたのだと思います。

英語のリスニング問題も心配でしたが、英語の基礎が固まっていたらリスニングは大丈夫だと先生がおっしゃって下さいました。実際、ほとんどリスニング対策をしていなくても本番では聴き取ることが出来ました。数学が昨年の問題と傾向が変わっていたので驚きましたが、心を落ち着かせていつも通りの力を発揮することができ、無事合格することが出来ました。僕が今まで頑張ることが出来たのは、共に励まし合える仲間達と、家族と、関西志学館の先生方のおかげです。今まで本当にありがとうございました。

■ 2024年度(最新版)

今まで頑張ってきた自分を信じた証

西大和学園高校入学 / 阿部 和子 さん (宝塚市立宝梅中学校卒)

私は中学入試で神戸女学院が不合格で、関西志学館に入塾しました。三年間行きたい中学校へ通うために勉強したというのに落ちた上、その学校は高校入試をしないので再チャレンジすることも出来ず絶望的な気持ちで入塾したのを今でも覚えています。

また、私はサボり癖が酷かったため勿論勉強に精は出ず、しばらくはだらだらと意味の無い時間を過ごしていました。最初は成績も学年で真ん中位でしたが、徐々に下がり二学期の中盤になると最下位になってしまいました。その時に「このままだと中学受験の二の舞じゃないか」と思い、暗記テストや基礎固めに真面目に取り組むようになりました。もちろん成績は一朝一夕には伸びず、分からないことも山ほどあったので授業前によく先生に質問していました。

先生方は簡単な問題でも丁寧にわかりやすく教えて下さりました。そのこともあって成績は少しずつ伸び、当時苦手だった数学や英語に対する苦手意識は薄れて行きました。

三年生になり入試問題に触れる機会が多くなってくると、今まで分からなかった問題が解けるようになっていて成長を実感できるようにもなりました。西大和学園の過去問演習では微妙な得点になることがほとんどで、半ば諦めていた時期もありましたが、先生方に励まされ、今まで頑張ってきた自分を信じようと前向きな気持ちになれました。

入試本番では緊張しすぎて数学の問題が思うように解けずパニックになり、落ちたかもしれないという考えが頭をよぎりましたが、先日今までの自分の努力を信じようと思ったことを思い出して残りの教科に全力を注ぎました。 入試結果発表の画面の合格という文字を見た瞬間の喜びと感動は忘れられません。

志学館では授業と暗記テストの二点だけでも真面目にしていれば自然と成績は伸びるので安心して塾のカリキュラムに身を任せれば良いと思います。最後になりましたが、中学受験の失敗で自信も勉強に対する意欲も失った私をここまで叩き上げて下さった先生方に感謝の意を伝えたいと思います。

■2020年度

「合格」の文字を見た時、涙をこらえることができませんでした。

西大和学園高校入学 / 足立 有美佳 さん (国立中学校卒)

私が西大和学園を目指したきっかけは中学受験で西大和に箸にも棒にも掛からないほどの点数で落ち、高校受験でリベンジを果たそうと思ったからです。私は極度のサボりで、中一の英単語、中二の英熟語、古文単語の小テストでは目も当てられない成績を取り続けていました。また暗記科目である社会でもひどい点数ばかり取っていました。

中三になっても相変わらず呑気にしていると、どんどん月例テストの順位が下がっていきました。さすがに危機感を感じ、少しずつ暗記を見直すようになりました。年が明けてからの直前特訓では、やはり英語と社会が足を引っ張り、合格最低点に届かないことも多く、サボり続けていたことを後悔しました。ですが、こんな私でも、徐々に成績は上がり、安定して合格最低点くらいは取れるようになりました。

入試本番では緊張のあまり舞い上がっていたのか、理科で10分時間を間違えるというミスを犯し、絶対不合格だと落ち込みました。なので、ホームページで「合格」の文字を見た時、涙をこらえることができませんでした。

この私が無事合格することができたのは紛れもなく関西志学館のおかげです。志学館で出される宿題、暗記をこなし、授業をしっかりと聞いていれば確実に力がついていきます。最後になりましたが、私を合格に導いてくれた関西志学館には感謝の気持ちでいっぱいです。三年間、本当にありがとうございました。

■2018年度

短期間で西大和学園合格に導いてくれた関西志学館

西大和学園入学 /  北村 京平 君 (大阪市立三国中学校卒)

私が関西志学館に入会したのは中三の秋でした。それまでの約十ヶ月は他の塾に通っていたのですが、全く成績が伸びず、逆に下がっていく一方だったので、心機一転、志学館の門をたたくことにしました。当時、志望校も決まっておらず、時期的にもよく入塾を許可してくれたものだと感謝しています。灘高校志望者がたくさん通う塾だと聞いていたので授業についていくことができるのか不安でしたが、先生方の授業は面白く、毎日の通塾が楽しみでした。宿題や小テストはハードでしたが……。

志望校を決めるにあたって、西大和学園高校の五ツ木模試の偏差値ラインを示され、その時の私には超えられるか微妙でした(母は無理だと思っていたそうです)が、ぎりぎりではあったものの、目標ラインに到達することができました。関西志学館にお世話になる前の私の学力では西大和は遠い存在でしたが、手を伸ばせば届くのでは、と希望が湧いてきました。

年明けから、直前特訓が始まりました。5科コースでは、色々な学校の過去問を解き、その解説授業を受ける―その繰り返しは、想像していた以上にきつく、大変でした。しかし、この特訓があったからこそ、私は当日の入試をあまり緊張することなく受けることができたのだと思っています。

入試本番では得意な数学があまりできた感触が無く、逆に苦手の国語と英語は簡単に感じたものの合格できている自信がありませんでしたので、ホームページ上で「合格」の二文字を見た時、飛び上がらんばかりに喜びました。西大和は入ってからが大変だと聞くので精進していこうと思います。

私を短期間で西大和学園合格に導いてくれた関西志学館には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

■2022年度(最新版)

あきらめないでほしい、ということを伝えたい。

白陵高校入学 / 大塚 夢叶 君(私立中学校卒)

僕は中学受験を経験していません。僕が高校受験をしようと思い立った理由は、当時の小学校の同級生の何人かが中学受験をするのを見たからです。彼らは長い間塾に行っており、たくさん勉強していました。その結果、灘や大阪星光、洛星といった難関中学に合格しました。その様子を近くで見ていた僕は、初めて受験というものを知り、実際に受験をしてみたいと思うようになりました。そして中学進学を機に高校受験専門の塾を探すことにしました。

まず難関高校の受験に特化した或る塾の特別コースの入会テストを受けました。しかし、受験の難しさを知らなかった当時の僕は、圧倒的な点差で落ちてしまいました。今思い返せば、僕は学校の授業を真面目に受けておらず、勉強の習慣も定着していませんでした。 その後、母が関西志学館を見つけてくれて、入会テストを受け、入塾することになりました。今思えば志学館の入会テストでもろくな点数を取れていなかった気がします。それでもそんな僕を関西志学館は受け入れてくれたのです。

塾の授業が始まると、僕は周囲との差に打ちひしがれました。周りの人たちは灘などの最難関中学を受けてきた人ばかりでした。僕は月例テストでもずっと最下位あたりでした。しかも僕は病弱という問題も抱えており、塾に通うことがかなりしんどかったです。そして、単純にしんどかったこと、そして周りとの差に嫌気がさした僕は中二の夏頃に退塾しました。その時の僕は学校に行くことすら嫌になっていました。しかしもう一度頑張ってみようと思った僕は中二の終わり頃に塾に復帰しました。しかし、再び周りとの差にぶち当たりました。僕が塾をやめている間に周りとの差がさらに大きいものとなっていました。あの時の決意はどこへやら、中三の6月頃にまた塾に行かなくなりました。この時の僕は何事にもやる気を持てず、一日中家でゲームをする自堕落な日々を過ごしていました。

そんな僕でしたが、9月も終わりに差し掛かった頃、塾に面談に行くことになりました。その時、先生に「このままではどこの高校にも行くことはできない。このままでいいのか」と言われました。そしてその時に僕はもう一度心を入れ替えて頑張ろうと思いました。やはり、周りとの差はとても大きかったです。しかし、今度こそはと一念発起して必死に食らいついていきました。その結果、白陵高校に進学できることになったのです。

さて、以上のことからこの体験記を読んでいる皆さんに、あきらめないでほしい、ということを伝えたいです。皆さんの中には、学力が伸びない、周りとの差がしんどい、志望校に受かるかわからないなどと様々な悩みを抱えている人がいるかもしれません。僕はそういいった悩みに、先生方や賢い生徒達みたいに、こうすればいいなどと言うことはできません。

ですが、あきらめなければ何とかなります。僕も最後まであきらめずに頑張ったから何とかなったのです。あきらめなければ夢は叶います。このことは覚えていてほしいです。 この体験記が皆さんのお役に立てれば幸いです。ぜひ、これからも頑張って下さい。応援しています。

■2018年度

合格を手にすることができたのは、「志学館パワー」

白陵高校入学 /  大向 一嘉 君 (私立中学校卒)

三年前の入塾後、まず先生方が僕達31期生におっしゃったことは「この学年は志学館史上最低の学年だ」です。しかし僕達がここまで来て合格を手にすることができたのは、「志学館パワー」のおかげです。

中一の最初の月例テストの時まで、自分の実力に自信があった僕は、月例もどうせ良い点が取れるだろう、と高をくくっていました。しかし、なんとワースト3位という結果で、僕の実力に対する自信は全てぶち壊れました。僕はその時もう終わりだと思いました。しかしそんな僕を志学館の先生方は見捨てませんでした。もし僕が他のマンモス塾に行っていたら確実に見捨てられていたでしょう。

そこからは志学館の先生方がおっしゃるとおりに、まず数学を重点的に勉強していきました。すると一年後には月例の数学で一位を何回も取れる実力がつきました。数学は復習が大事です。同じ問題を解いて解いて解きまくる。最低でも三回は解き直しましょう。そうすれば数学の実力は自ずとついてきます。

英語は僕にとって得点源で、中一からずっと安定した点を取れていました。志学館の先生の板書をその日の寝る前に見直して復習をしていました。英語で大事なのは、単語と熟語、そして文法です。文法を命と例えるなら単語は血管で熟語は血液です。文法力が無ければ単語と熟語はちゃんと機能しませんし、文法が解っていても単語力と熟語力が無ければまた機能しません。しかし、志学館の宿題などをきちんとすればそういった力は自然とついてきますのでご心配なく。

そして中三の最後まで僕の足を引っ張ったのは国語です。しかし、国語は踏ん張りがあれば必ず成績は上がります。最低3カ月、成績がすぐには変わらなくても、読解問題を踏ん張って頑張って続けて下さい。同時に出来る限り読書もするのが良いと思います。

関西志学館は他のどの塾よりも素晴らしい塾です。百聞は一見に如かずと昔から言われてきたとおりで、まずは自分の目でその素晴らしい授業を見て、自分の耳で聞いて、確かめて下さい。志学館を信じて勉強すれば怖い高校などありません。そして手にするものは合格です。

最後の最後にこの場を借りて志学館の先生方に御礼申し上げます。三年間ありがとうございました。

■2017年度

志学館の先生方は勉強以外のこともたくさん教えて下さった

白陵高校入学 /  末國 夏帆 さん (加古川市立加古川中学校卒)

私は中三から途中入塾して一年間だけ関西志学館にお世話になりました。それまでは塾には通っていたものの公立高校合格を目標に掲げているような塾だったので、志学館に入塾した当初は周りの意識の高さや、熱い先生方、授業のレベルの高さに本当に驚きました。最初は本当に授業について行くのが大変でしたが、先生方がフォローして下さったおかげでどんどんわかるようになって授業が楽しみになりました。

しかし、夏休みから九月の駿台模試あたりまでは成績が思ったように伸びず、焦ったのを覚えています。勉強の仕方を質問しに行ったとき、先生方が親身になって教えて下さり、十月、十一月と納得の行く結果を出すことが出来ました。英語の長文が苦手でしたが、毎日一題は読むようにしようと決めて読んでいるうちに、文の構造や入試によく出てくる単語などがわかるようになりました。

また、慣れない頃はわからない単語に当たると読まずに飛ばしていましたが、文脈から判断して訳せるようになっていきました。また、毎回の英単語の暗記テストが本当に役立ちました。数学では空間図形が苦手だったので最初は解き方を覚えようと思い、解説を何度も読んでいるうちに「あ、そういうことか!」と納得させられ、直しを完璧にすることで類題を解けるようになりました。

特に月例テストや駿台模試は難問ばかりで考えてもわからないものもたくさんありましたが、いろいろな発見があり面白かったです。二学期から参加した過去問演習では国語の点数が安定しませんでしたが、ずっといろいろな問題を解いていくうちに記述の仕方や、記号問題は消去法で攻めるなどたくさんのことを教えて頂き、だんだん安定するようになっていきました。合宿や正月特訓、直前特訓は本当につらい時もありましたが、一生の宝物です。私がこの一年間で学んだことは、目標は高く持ち、そしてそれに向かって精いっぱい努力をすれば達成できるということです。

志学館の先生方は勉強以外のこともたくさん教えて下さったので人間的にも本当に成長できたと思います。今思えば、あっという間の一年間でした。それほど充実していたのだと思います。

十五年間生きてきて一番素晴らしい一年間でした。日本で一番いい塾と先生方に出会えて本当に嬉しいです。もう志学館で先生方の授業が受けられないと思うと本当に寂しいです。三年後、先生方にいい報告が出来るよう、憧れだった白陵高校で大学受験に向けて一生懸命頑張ります。本当にありがとうございました。

■2024年度(最新版)

自分の実力を認められた嬉しさが自信につながった。

早稲田大学本庄高等学院入学 / 五十嵐 エマ さん (私立中学校卒)

私が関西志学館に通い始めたのは遅く、中三の途中からでした。入塾当初は周りの人達の賢さに圧倒されて授業について行くのが大変でした。私の場合、基礎がなっていなかったので英語の文法がうろ覚えだったり数学の公式を知らなかったりで苦労しました。でも授業を受けるうちにうろ覚えだったところを完璧に覚えられるようになったり、ひたすら問題を解くことでだんだん授業について行けるようになり塾に通うのが楽しくなりました。

その頃の私の第一志望は岡山白陵でした。当初は専願で考えていましたが、ある日塾から、併願でも十分受かりますという判定をいただいて、自分の実力を認められた嬉しさが自信につながったのか、成績も右肩上がりになってきて、岡山白陵よりも偏差値の高い志望校を目指すことにしました。私は高校は寮生活がしたかったのと校則の緩い自由な学校に通うのが夢だったので早稲田本庄を受けることにしました。また、本庄は大学受験をせずにそのまま大学に入れることも知り、もう私にはここしか無いと思うようになりました。

そうするうちに岡山白陵の入試日がやってきました。周りには沢山の志学館生がいたおかげで、あまり緊張せずリラックスしてテストに挑むことができました。充分手応えはありましたが、合格発表が出された時は素直に嬉しかったです。しかしその後の本庄の入試までの二週間がとてもしんどかったです。

初めて本庄の過去問を解いた時はどの教科も三、四十点台で受ける資格すらあると思えず、本庄の難しさと自分の実力の無さを痛感しました。その後三年分ほど解き、同じような点が続いたのでもうダメかも、とやけくそになったりしました。でも支えとなって下さった先生方、切磋琢磨し合いながらもたくさん励ましてくれた友達のおかげで、そこで終わらせずに最後まで努力を続けることが出来ました。皆さんにはとても感謝しています。短い間でしたが本当にありがとうございました。

この合格体験記をお読み下さっている保護者の方へ

灘高校入学 /  H.Kの母

息子は灘中落ちです。決してチャレンジ受験ではなく、算数と理科にはそれなりに自信をもって臨みましたが、想定を大きく下回る点しか取れず完膚なきまでに打ちのめされました。しばらくは奈落に沈んでいましたが、とある恩師の方から掛けられた「立ち止まってはいけない」という言葉になんとか這い上がり、今度こそ灘に合格すると決意を新たに、灘高入試の要となる英数の力を徹底的に磨くことにしました。

こうして関西志学館の門を叩いたわけですが、そのご指導の中でとりわけ効果があったのは、過去問演習と直前プリントです。

過去問演習、本来二日間にわたる灘高入試に一日で取り組み、即時採点・解説授業・合格発表までがセットになった特訓です。当然体力的にも相当きついのですが(これをこなされる先生方には本当に頭が下がります)、その年度の最高得点超えの得点を叩き出す生徒さんもいらっしゃって、大いに刺激を受けました。

息子の場合、灘中入試の反省から英国数理の4教科で各々想定より10点ずつ得点が低くても合格できるように、合格最低点プラス40点を目標に過去問演習に臨みました。合計約20年分に取り組み、年度により浮き沈みはあるものの、平均してプラス50点以上の得点力を身に付け本番でもその力を遺憾なく発揮できました。

直前プリントは、文字通り本番の前日・当日に渡される先生方のお手製のプリントです。灘高を突破する為のあれこれが、網羅的にあるいはコンパクトにまとまっています。そして、そこに詰まっている先生方の合格に懸ける想いや生徒への愛情…生徒は確かにそれを受け取って本番に臨めるのです。

もしこの合格体験記をお読み下さっている方のなかに、中学入試で涙を呑まれ高校入試での捲土重来を期する方がいらっしゃれば、まさしく三年前の息子と同じです。不合格を経験していると、それが一種のトラウマとなり、また落ちるかもという不安に苛まれ、プレッシャーに圧し潰されそうになることがあります。息子の場合は、高校入試を廃止する中高一貫校も多いなかで敗者復活のチャンスを与えてくれる灘高への感謝の気持ちと、「三年前よくも俺を落としやがって!!」と復讐する気持ち、この相反する心を燃やして、打ち勝ちました。どうぞ、「勝つと決めたら勝つ!」という強い気持ちで臨まれて下さい。おこがましいようですが、息子が繋いだ襷を継いで下さる方がいらっしゃれば幸甚です。

最後になりましたが、関西志学館の先生方、事務の方、そして共に駆け抜けた学友の皆様に、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。どなたお一人が欠けても成し得ませんでした。いただいたご縁をかたじけなく受け止め、これからも倦まず弛まず進んで参ります。

保護者からの手紙

2015年度 灘高校合格/匿名希望 母

「ついて行けなかったらやめたら良いから…」と、くり返しくり返し自分と息子に言い聞かせて入塾したのが三年前でした。灘高校には全く縁のない世界にいましたし、中学受験もしておらず、いまだ「灘高校合格」を信じられない気持ちでおります。 小学校には勉強するというよりは、楽しい事を見つけに行っていたという息子の成績はずば抜けて良いというものではありませんでした。ただ体験で入った近所の塾の単元のまとめテストのようなものは悪くなかったので、関西志学館の経験のある知人に勧めてもらったのが入塾のきっかけでした。

「普通の塾と同じ。習ったことをきちんと理解していくことの積み重ね。初めは今までの塾よりも宿題も少ないくらいだから大丈夫だよ。」いくら言われたところで当初は不安な気持ちばかりでした。 実際、中学受験をしていない息子は数学で友人達より遅れをとっているのは月例テストで歴然としていました。「数学は真面目にやっていればいずれ追い付きますから…」という先生方の言葉を信じて、

  • 休まずに塾に行くこと
  • 習ったことをきちんと理解することを積み重ねること
  • 小テストでなるべく点を取ること
を心掛けていました。 そして少しずつ順位が上がるようになるにつれて…、 「灘高校など行けるはずがない。」が「灘高校に行けるかも…」に変わり、 「灘高校に行ってみたい。」「灘高校に行きたい。」となってからは、どんどん自分で頑張るようになりました。

 「授業に集中する」ということの大切さはどなたでもご存知のことですが、関西志学館で集中力の “ON” と “OFF” の力を身につけさせて頂いたと思っております。  「"授業への集中力と耐力" が灘高校合格への一番の鍵であり、これからの人生にとって大変役に立つであろう…」というのが主人と私との共通の意見です。

 そしてこの塾で「高校生活を共に送りたい」と思える尊敬できる友人に出遭えたことも財産でした。知人に塾を紹介して頂いて本当に良かったです。これから先、関西志学館の卒業生が一人でも多く同窓生になれますように…。  本当にありがとうございました。

保護者からの手紙

灘高校入学/N.Aの母

息子は,中学受験をせずにいきなり小学6年生の2月に関西志学館の入塾テストを受け3月より通塾を始めました。小学校4年生から5年生にかけての1年あまり父親の仕事の関係でアメリカに住んでおりましたので,英語だけが他の塾生さんと比べてできているというだけの子供でした。小学校の級友たちが中学校受験をされ私立有名中学に合格されたのが少々悔しく,自分は高校から級友たちよりもっとレベルの高い学校に行きたいという気持ちだけで勉強を始めました。

灘中学校や甲陽学院中学校を惜しくも不合格になった塾生さんと机を並べ刺激を受け,又,当時数学をご指導いただいておりました塾長先生の息子への対応が3年間の受験勉強を支えていただいたと感謝致しております。息子が申しますに,『塾長はいつもニコニコしておられ,良くできたときは必ず誉めてくださいました。又,順位が上位でも易しい問題が出来なかったときは注意してくださり,励みとなりました。』とのことでございます。

3年間の受験期,私は母として食事作りや身の回りの世話をするだけで,不安定な中学生の精神的な支えを塾の先生たちがしてくださり大変感謝致しております。この時期の子供は両親に反発する時期ですが,自分の目的を達成するために指導してくださっている関西志学館の先生方のおっしゃることには素直に従えたようでございます。 灘高校に合格してから京都大学法学部に合格するまでの3年間,特に高校3年生の時も普通に学校に通い,特別な受験勉強をせずに合格できたのも関西志学館で鍛えていただいたお蔭だと感じております。

中学校受験と違い,本人の意志がしっかりとしていないと絶対に成功出来ない高校受験で目的を達成出来たことで『生き抜く力』をもいただいたように感じております。関西志学館の先生には灘高校に合格させていただいたことだけでなく,『努力して積み上げていくことの大切さ』と言う生き抜くための力をいただいたと感謝致しております。本当にありがとうございました。